ゆ〜ふぉ〜のポケモン・漫画ブログ

暇な人がポケモン愛を語っていくブログです。あと漫画も。

「恋は雨上がりのように」の感想

切ない刹那い最終巻。

 

恋は雨上がりのように」の最終巻を読んだ。

5年ほど前に、5巻ぐらいまで読んで、今回ようやく10巻まで読み切ったからこのタイミングになった。

 

感想としては、本当に切なくて泣きそうになった。震えた。

まさかこうなるとは、という意味で裏切られた。

ただし、展開的に無理があるわけでも、気を衒ったわけでもなく、

本当に丁寧に描き切った名作だと思う。

最終10巻は、本当に素晴らしい巻だった。

 

 

店長と橘の「恋」

恋は雨上がりのように」というタイトルについて、読み終わった後、また違った印象になる。

ネタバレになるため、最終巻を読んでない人はブラウザバック推奨。

 

最終巻にて店長と橘が別れる際に、

セリフはないが、何かを話した後、

橘は家に帰り、母に「雨宿りしてただけ」と返す。

これがこの物語における、店長と橘のラストのシーンとなる。

 

恋は雨上がりのように

そして

「雨宿りしてただけ」

 

雨が降る時、店長と橘が出会い、仲を深めていった。

そして雨は止み、橘は青空の下で走ることへ戻った。

 

恋は雨上がりのように、」止んだのか。

何かこう、うまく言えないけれども、

2人の人生が重なった、そんな刹那。

まるで雨が降ったような、その時間に。

たしかに2人は恋をしていて、

その恋は、雨が上がるように、晴れやかに止んだということなのだろうか。

 

あまり上手く感想を書こうとすると陳腐になるけど、

最終巻の、店長と橘の今現実に起こっていること、存在しないがもしかしたらあったのかもしれない、同じ同級生の頃の思い出、

その交錯が、もしも現実だったとしたら、

今ではなく、全く違う時間で交錯していたら。

今が良い悪いではなく、ただ今出会って惹かれあった2人は、共に過ごしていくことはなかった。

ただし、その交錯は、その時間は、その恋は、

確かにあって、

それは、本当に刹那のもので、

いつか忘れてしまうものだけれど、

それでもそこに確かにあった、ということなんだ。

 

その切なさと刹那さを、僕はこの漫画を読んでしみじみ感じた。

 

おわりに

恋は雨上がりのように」名作でした。

本当に雨が上がるように、最終10巻は過ぎていきました。

人生もまさにこういう、ドラマチックでありながら、刹那的な側面を孕んでいる、

煌めきは一瞬だとしても、たしかにそこにあったのだ、

というような、

心に残る作品でした。

ありがとうございました。