「恋は雨上がりのように」の感想
切ない刹那い最終巻。
「恋は雨上がりのように」の最終巻を読んだ。
5年ほど前に、5巻ぐらいまで読んで、今回ようやく10巻まで読み切ったからこのタイミングになった。
感想としては、本当に切なくて泣きそうになった。震えた。
まさかこうなるとは、という意味で裏切られた。
ただし、展開的に無理があるわけでも、気を衒ったわけでもなく、
本当に丁寧に描き切った名作だと思う。
最終10巻は、本当に素晴らしい巻だった。
店長と橘の「恋」
「恋は雨上がりのように」というタイトルについて、読み終わった後、また違った印象になる。
ネタバレになるため、最終巻を読んでない人はブラウザバック推奨。
最終巻にて店長と橘が別れる際に、
セリフはないが、何かを話した後、
橘は家に帰り、母に「雨宿りしてただけ」と返す。
これがこの物語における、店長と橘のラストのシーンとなる。
そして
「雨宿りしてただけ」
雨が降る時、店長と橘が出会い、仲を深めていった。
そして雨は止み、橘は青空の下で走ることへ戻った。
「恋は雨上がりのように、」止んだのか。
何かこう、うまく言えないけれども、
2人の人生が重なった、そんな刹那。
まるで雨が降ったような、その時間に。
たしかに2人は恋をしていて、
その恋は、雨が上がるように、晴れやかに止んだということなのだろうか。
あまり上手く感想を書こうとすると陳腐になるけど、
最終巻の、店長と橘の今現実に起こっていること、存在しないがもしかしたらあったのかもしれない、同じ同級生の頃の思い出、
その交錯が、もしも現実だったとしたら、
今ではなく、全く違う時間で交錯していたら。
今が良い悪いではなく、ただ今出会って惹かれあった2人は、共に過ごしていくことはなかった。
ただし、その交錯は、その時間は、その恋は、
確かにあって、
それは、本当に刹那のもので、
いつか忘れてしまうものだけれど、
それでもそこに確かにあった、ということなんだ。
その切なさと刹那さを、僕はこの漫画を読んでしみじみ感じた。
おわりに
「恋は雨上がりのように」名作でした。
本当に雨が上がるように、最終10巻は過ぎていきました。
人生もまさにこういう、ドラマチックでありながら、刹那的な側面を孕んでいる、
煌めきは一瞬だとしても、たしかにそこにあったのだ、
というような、
心に残る作品でした。
ありがとうございました。
四月は君の嘘を読んだ感想
何度読んでも泣いてしまう。
「四月は君の嘘」は私がたしか高校1年生くらいの時に初めて読んだんですが、
それから何年経っても、自分の中で好きな漫画トップ3に入り続けているくらい好きな漫画です。
定期的に読み返してその度に泣いていて、
やっぱりこの漫画はすごい、とその度に感動しています。
で、今回は通算何回目かの一気読みで、終わった後の感想が読みたいが過去の自分は感想を書いてなかったので、こうして書いておこうと思います。
駆け抜けていくストーリー
ここからはネタバレ防止のため読んでない人は読まないでください。
ストーリーとしては、ピアニスト有馬公正の出会いと別れ、そして成長、というものです。
まあこうしてまとめてしまうと凪ちゃんに陳腐だと怒られてしまいますね。
結局、この漫画の魅力はストーリー云々というより、その描き方にあると思うのです。
まあストーリー自体すごく素晴らしいんですが、とにかく、有馬公正が変わっていくその軌跡が美しいと。泣いてしまうと。そういうわけなんです。
彼のピアニストとしての成長には、大きな別れが二つ存在します。
近しい人の死を乗り越えながら彼はピアノを弾いていきます。
悲しく切なく、けれど懸命に足掻く彼と彼女は、なぜこんなにも胸を打つんだろう、と思わされます。
主人公をめぐるいくつもの人間関係
この漫画は正真正銘のピアノ漫画であるけれども、ピアノ競技漫画ではないと思います。そういうカテゴライズも陳腐だけど、少なくともコンクールで一位を取るための友情努力勝利を描いているわけではないし、コンクールの結果が重視されてるわけでもないです。
ピアノを媒介とした、想いの表現なのです。誰かに届けたいという想いを、ピアノに込めている、というのが主題です。
じゃあピアノじゃなくてもいいのかという話ではなく、作者の絵柄とピアノのモノトーンがめちゃくちゃマッチしていて、これしか無い、と思わされます。
そして、主人公を取り巻く人間関係として、
幼馴染の椿と渡、そしてピアニストの紘子、凪、絵見、武の存在が、この漫画の奥行きを広げ、豊かな表現に繋がっています。
とか、真面目なことを色々書いたんですが、
まあ〜椿がいいんですよ!
弟だと思っていた有馬の成長に対する戸惑い、それは自分の気持ちや環境の変化への気づきにも繋がっていきます。
その葛藤やら切ないやらで、涙腺をやられます。
印象的なシーンの連続
とにかくこの漫画の凄いところは、
もう100点満点バッチリこれ以上ない!というシーンをバシバシ決めてくることだと思います。
印象的なシーンを取り上げればキリがない。
特に椿と公正が夜の海を歩くシーンと、
かをりと公正が川に飛び込むシーン、
最終回目前の屋上のシーンなど、まあ〜とにかく、青春なんですよ。ボーイミーツガール、その環境、いや〜もう痺れるね、というシーンの連続で、その濃度が11巻に溢れんばかりだと。それがこの漫画の1番の魅力なんじゃないかと思います。
おわりに
とにかく読んでほしい!それだけです。
ありがとうございました。
朝井リョウ「何者」を読んで喰らった人の感想
朝井リョウの「何者」を読んだ。
読み終わってまず、「俺もそうだな〜ああ〜」と、やられたと思った。
読んでいる最中は、主人公の拓人に感情移入していた。
周囲の意識の高い言葉を身に纏っている人たちを斜めに見て、冷静に俯瞰する。
その切れ味に夢中になっていた。
それが最後、油断していた読者の自分が突然斬られた感覚になった。
引き込まれて引き込まれて、最後に真っ二つになった。
感想を書くと、そんな感じです。
順を追って書くと、
まず、主人公の拓人は就活生で、同じ大学の3,4人と関わりながら、話が進んでいきます。
拓人は周りの人を見ながら、分析をします。
何者かになりたい周りを見て、自分も何者でもないのだと、最後に気付くわけなのですが、
その銃口が感情移入してた読者に向けられる感じ、痺れました。
「何者」を読むと、
こうやって感想を書いている自分ですら、お前は何者なんだよと言われる感じがするし、
そういうツッコミというか嘲笑を周囲に普段から心の底で向けてるような自分だから、
そういうのって自分にも当てはまるし、自分だけ特別にはなれない、ということを気づけない。
そういう堂々巡りのような気分になる。
けど、それを直せよ、みたいなことではなく、
結局みんな何者でもなく、自分でしかなく、カッコ悪くてもなんでも生きていくしかないわけで、自分だけそこから離れるのは無理で、、
自分だけが周りに向けている正論は、正しいことを言える自分を肯定したいだけで、
相手のためなんかじゃなくて。
主人公の拓人も、そうやっていないと自分を肯定できない、観察者であることで何者かになろうとした、ということで。
それが、自分自身が周りを見下してなんとか自分を保ってるもんだから、
苦しくなってしまった。
でも同時に気持ち良さもあった。
そういう作品はやっぱ面白いってことなんだろうなって思った。
少し自分を省みつつ、自分は結局自分でしかないよな、と思いつつ謙虚にしよう、と改めようと思ってしまうくらい、力のある小説でした。
【ポケモン × BUMP スペシャルPV】 ポケモン愛が伝わる世界を、ありがとう。
愛は感動を生む。いいものってやっぱ愛がある。全ての主人公に贈る珠玉のムービー。
いや〜〜〜すげえ。
何回もリピートして観てます。
すごい動画ですこれは。
シロガネヤマの決戦
この動画は情報量、もとい小ネタが満載なのですが、
僕は金銀が一番好きなので、まずはそこから話します。
金銀のシロガネヤマってやっぱ特別なんですよ。シロガネヤマってのは、冒険してる主人公にとってはジョウトだけじゃなくカントーまで旅して、前作の最強のライバル、グリーンまで倒して、オーキド博士に報告して、そこでやっとその存在を明かされるのがシロガネヤマなんですよ。そんでシロガネって白金とも白銀とも書けるんですよ。どうでも良いですね。
そういう、ストーリーには全く関係ない、冒険の最後のダンジョンの最深部で、前作主人公と対決するっていう。前作やってた人にとってはもう無茶苦茶テンション上がりますよね。当時は本当に事前情報なしでやってたので、奥の奥まで行ってレッドに会ったときは本当にびっくりしましたし、初手Lv88のピカチュウにもビビりました。でもまあ確かに前作をやり込んでいれば、ピカチュウが四天王を突破するには最低でもLv70以上は必要だろうと思うと、本当にピカチュウで頑張ろうと思っていたプレイヤーにとっては割とリアルな数字なわけです。きっとレッドは四天王を突破した後このシロガネヤマで鍛錬を積んでいたのだから、確かにLv88くらいはいくのかもな、と思います。
結局何が言いたいのかというと、このレッドは確かに前作主人公だろう、と思わせるようなレベルと手持ちだったということです。だからこそ、金銀をプレイしてる人にとっては、前作の自分を倒すような不思議な感覚が味わえるわけで、そこが凄い。
だらだらと思い出を書いたので、ここで動画の方に戻ると、何に感動したかってこの誰にも明かされないひっそりとした激戦が、こうやって動画化されて見ることができたということなんです。決してフューチャーされることがなかったけれどプレイした人ならば誰もが覚えているこの戦いが、色鮮やかにスピード感と迫力を持って映像化されたことに感激したんです。
動画を見ると、まずバンギラスとカメックスの対面から、金銀主人公(ヒビキ)がバンギラスバックでデンリュウを繰り出しています。
これはTwitterで他の人が言っていたことですが、このデンリュウ、よく見るとヒールボールから出てくるんですが、ヒールボールはヨシノシティやキキョウシティでも購入することができるので、きっとこのデンリュウはキキョウシティを出たすぐの草むらで捕まえたメリープを、最後のダンジョンまで大事に育ててきたのではないかと考えられます。
デンリュウってチョイスがいいですよね。きっとみんなのパーティに入っていただろうポケモンです。人によってはランターンだったかもしれないですが。とにかく、この動画は実際に金銀をプレイした人が監修しないとここでデンリュウは出てこないし、そこにリアリティがある。だからこそこの動画を見た人が、ああ懐かしいなあと思って動画にコメントを残したり、僕みたいに深夜にブログを更新したりしちゃうわけです。すごいコンテンツだよほんとに。
レッドのパーティはバランスがいいですから、いくらバンギラスでも6縦は難しく、サイクルを回さないといけないわけです。その緊張感が主人公の表情にも、レッドの鋭い眼差しにも現れています。みんな当たり前って言うかもしれないですけど、この動画、表情がむっちゃくちゃいいんですよ。ああそういう解釈なのね、っていうちょっと外した感じじゃなくて、この顔が見たかったんだよ!!というか、ゲームをプレイしていたら思い浮かべる主人公やライバルやチャンピオンの顔はこれだよな!感がすごいんです。もう一個も外してない。だから製作陣の愛が伝わるってことなんです。だからこそこんなに反響がでかくて、観た人がたくさんコメントを残す動画になってるんです。
グリーンの生意気だけど自信に満ちていてこっちを挑発するような表情、BW主人公の殺意の眼光、SMメンバーの生き生きとした表情。全部最高です。分かってるな〜〜〜と鼻息が荒くなります。お前は誰?って感じですが、とにかく素晴らしい。素敵な動画をありがとうございました。
おわりに
結局今回は金銀の部分しか語れなかったですが、初代、RSE、DPt、BW、XY、SM、剣盾全ての映像が良かったです。この場面か!と分かるとテンション上がったり。また時間があれば他も文章にして投下します。ではまた。
【漫画】「聲の形」を読みました。
「過去と今と未来。僕らは生きている。」
苦しい。
誰かの感想を読みたい、後日談を読みたい。
でも誰かの感想で「植野は許せない」的な感想は読みたくない、、、、
そういう漫画じゃないだろ、違うんだ、これはそういうのを含めた漫画だろ、、と思ってしまってモヤモヤしてしまうからだ。
だからブログに感想を綴ることにする。そうしないと眠れそうにない。うわあ〜〜〜と胸の中が暴れ出してまんじりともできない。
「聲の形」は知っていた。話題になったことも知っていたし、きっといい作品なんだろうと思っていた。
でも読みたくなかった。なぜならマガジンだから。そんで障害といじめを扱ったテーマだから。ドロドロのぐちょぐちょで、心が切り刻まれるような漫画に違いない。体調が悪い時に読んだら闇に飲まれそうだから読みたくない、そう思っていた。
だが、いざ全巻一気読みすると、「これはすごい漫画だ、、」と思ってしまった。
とりあえず、率直な感情は「苦しい」
漫画を読んでこんな気持ちになったのは初めてかもしれない。
様々な感情が渦巻いて、ああああああああ、苦しい、となってしまう。
「石田はいい奴か、悪い奴か?」
石田はいいやつなのか悪いやつなのか。きっとどちらでもないのだろう。
そういった尺度でこの作品の登場人物を品定めするのは違うんじゃないだろうか。
石田は良くも悪くもバカで素直だった。
誰もが石田になる可能性があるのに、石田に石を投げる権利があるだろうか?
過去に何一つ過ちを犯したことのない人なんていない。
確かに石田は取り返しのつかない過ちを犯した。
まだ何も知らない、小学校時代に。
石田はもともと嫌なやつだったのか?
西宮ともっと違うタイミングで会っていたらどうなっていた?
石田だけ悪いと言えるのか?
誰が石田を責められるのだろう。
誰もが石田にならないという確証はあるのだろうか。
石田は良くも悪くもバカで素直だった。
やったことは悪いことだ。
だが僕たちはそれを責める権利があるだろうか、他人事と捉えていいのだろうか、
そんな気持ちにさせられた。
印象的というか、個人的に好きなシーンは一巻の後半だ。
石田は西宮をいじめた後、クラスメイトにいじめられる。
混乱と痛みの中で、石田は自分の尊厳を失っていったのだろう。
石田は西宮に弁償した170万を貯め、母に渡し、西宮に謝罪してから死のうとした。
なんかわかるなあ、と思ってしまった。
極端だけれど、石田は苦しみから逃れるために一つの方法を思いついたのだろう。
追い詰められ、後悔に押し潰されそうになりながらも、この状況から楽になるためには
全てを精算して死ぬしかない、ということをずっと考えながらバイトに勤しんでいたのだろう。
決断自体はすごく重いんだけど、その思いきりがよくさっぱりした感じと行動力に、石田の素直さといい意味の愚直さが現れている描写だと思う。
漫画の表現としても、セリフがなく自分の将来を悲観するシーンがあったり、日常のさりげなく死にたくなるくらいショックなシーンがあったり、テンポよく読めるしコミカルなのに、石田が死にたいと思う説得力があって、なんというか漫画がうまいと思う。
「気持ち悪い」
反吐が出るシーンがたくさんある。
誰が正しいのか、何が正しいのか、そもそも何を正しいとジャッジすること自体が正しくないのではないかと思ってしまうほどに。ぐちゃぐちゃにかき乱される。心を。特に川井さんと植野さんと小学校の先生に。苦しい、苦しい、読むのが辛い。だけど読んでしまう。それはこの漫画が漫画としてとても上手だからではないか。僕は「聲の形」を読む前、「障害といじめっていう話題になりそうな題材だから話題になってる」とかめちゃくちゃ失礼なことを考えていた。謝りたい。本当にごめんなさい。この漫画は、漫画として本当にうまい。題材云々じゃない。作者の漫画家としての力量が高い。だから読んでしまう。けど苦しい。
植野はどうしてこんなことを言ってしまうんだろう、なんですぐ手が出るんだろう、、
川井さんはどうしてこんな気持ち悪い言葉を言うんだろう、、、
先生はどうしてこんなに嫌な気持ちになるんだろう、、、、
なんでこの作者はこんなシーン入れるんだ、こんな、うわああああああああ、となる。
わからない、人間ってわからない。
特に5巻とか、苦しい。
本当に読んでいて苦しい。
6巻もほんと苦しい。
この漫画を読んでいると分からなくなる。
植野は間違ってるのか?川井さんはおかしい人なのか?先生は歪んでるのか?
それぞれ考えていることは、分からなくもないと思ってしまう。
だから、「こいつはまじで悪いやつだ」「敵だ」と切り離して読むことができない。
いや、最後まで気持ち悪いんだけども、、、、
誰にだって自分なりの正義があって、
声の大きくて強い人がそれを振りかざすから正しいように見えて。
だからこそ、何も主張せず笑顔な西宮は、一体何を守りたいのだろう。
悲しくなってしまった。
「過去の精算はできるのか?」
素晴らしいと思うのが、石田のコミュ障ぶりと言うか人間不信っぽさの描写がうまいこと。自分も高校時代ほぼ友達がおらずクラスで孤立している人間だったが、ずっと1人でいるから無性に周りが気になって苦しくて、ずっといろいろなことを頭で考えてしまってキョドる、みたいなのはめちゃくちゃわかるなあ、と思ってしまった。この辺のリアリティとかもこの漫画の没入かんを高めるというか、世界観の構築に役立っていると思う。
石田は本当に過去に苦しんでいる。
自分をいじめたクラスメイトのことを考えるとつらいのだ。
僕だったら、どうだろうか。
毎日どうやって復讐しようか考えるかもしれない。
でも、そうやっていじめた側のことをずっと考えている自分が惨めで泣くかもしれない。
過去は消せない。
忘れようとしても、時折フラッシュバックして僕らを苦しめる。
復讐は何も生まないなんてわかっていても、
ほんの少しの安堵が得られるなら、その復讐を止める手立てなどあるのだろうか。
わからない。
「聲の形」には、小学校時代の同級生が再登場する。
石田をいじめたのに、また関わってる。
でも石田だって、西宮をいじめたのに、また関わってる。
謝罪の質?本人の気持ち?「許す」「許さない」の基準って何?
ぜんぶ見る、ぜんぶ聞く。
物語の終盤で、石田は人の顔につけていた「バツ印」を剥がしていく。
現実と向き合って、生きていこうとする石田の意思がここにある。
そして最終話では、成人式に出席する。
過去、今、未来と向き合い、生きていくことを選んだ石田。
怖気づく西宮の手を引っ張り、扉を開けるラストシーン。
キスもハグもない漫画だけど、このシーンは結婚式に見えたり。
いや、でもこれはラブコメではない。
恋愛も心の動きの一つであって全てではない。もうこの登場人物たちはそういうものを超越していると思う。
話はそれたが、過去を決別するわけでもなく、向き合うことに決めたのは、
きっと西宮と再び会って話せたからなのだろう、と思う。
そう思うと、なぜ石田は西宮に再び会って話そうとしたのだろうか。
読み返すと、石田はこう言っている。
「あの時 お互いのこえが聞こえてたら どんなに良かったか」
石田は後悔している。
もしあのとき伝わっていたら、理解しようとしていたら、もっと違う方法が取れていたら、
こえが伝わらなかったばかりに、
最終巻で病院を抜け出し、西宮と再開した石田はこう言う。
「君に 生きるのを手伝ってほしい」
石田は死のうと思っていた。西宮も死のうと思っていた。
その2人が、出会って、この言葉を石田が言ったことは本当に大きな意味を持つんだろうな、と思う。
あれだけ伝えられなかった2人が、このシーンでは必死になって、伝えようとしている。
泣いている西宮を抱きしめようとして、躊躇して肩に手を置く石田が切ないが、、、、
まとめたい
この漫画はすごい。面白い。
個人的に、西宮が本当に可愛くて表情がとてもいいと思うし、この作品にアクセントを与えていると思う。また、結弦が本当にいい。とてもいい。結弦はこの漫画の裏主人公ではないかと思ってしまうくらい良い。石田と兄弟みたいに仲が良いのがとても良い関係性だと思いました。西宮家は全員良くて、お母さんもとても良いキャラクターだなと思います。無言のビンタとか。
また、映画も見てみようと思います。
後日談とかまた描いてくれないかな、、、
【コメディの金字塔】湯上くんは友達がいない、全巻読破した余韻を綴る
(ラブ)コメディの金字塔、
これぞサンデーの(ラブ)コメだ!
読みました。「湯上くんは友達がいない」全16巻。
ネタバレを含むというか、この記事は全巻読破して、「続きは?続きはないの?苦しい、、」となっている僕のお仲間が読むことを想定しているので、まだ読んでないよという方はブラウザバック推奨です。
1.湯上くんとの出会い
存在は知ってたし、なんなら3年前くらいに2、3巻は読んだ覚えはあったのですが、「サンデーうぇぶり」で試し読みして、その時たまたま読んだ66話と67話がめちゃくちゃ面白くて、その日のうちに全巻Kindleで買って読んでしまいました。そして気づいたのが、たまたま無料公開されていたその2話が、この漫画の中でもトップクラスに面白い話であったということです。
なんでしょうね、この情緒不安定な綿貫さんがめちゃくちゃ可愛いし面白いです
ツッコミに回らざるを得なくなる湯上くんも面白い。
67話の耳たぶの下りは言わずもがなです。最高です。
もし違う話が無料公開されていたら果たして全巻購入しただろうか?いや、他の話も面白いんですが、単発の破壊力では66,67話を上回るものはないのではないでしょうか。だとするとこの話を読めたのは運命のような気がします。言い過ぎか
2.どんな漫画なのか
端的に言えば、「変人主人公と幸薄いヒロインが織りなす妙にリアルな学園(ラブ?)(ギャグ)コメディ」です。全然端的に言えてないな。ジャンル分けが難しい。
なぜならジャンル分けすることに自分が抵抗があるためです。自分はこの漫画を、タイトルだけ見て「ああ、流行りの友達いない系ね」みたいな穿った目線で見ていました。誤解のないように言っておけば、僕は友達いない系は好きなジャンルです。(俺ガイル全巻集めていました)だけどラノベみたいなタイトルで流行りに乗ってんのかみたいな見方をしていたのは事実です。
しかし読んでみると、この漫画においてジャンル分けは弊害を生むと分かります。
確かに友達いない系だけど、他の漫画とは一線を画す、、
なぜなら、本当に主人公が友達がいないことに対して不満を感じていない。
ハーレムにもなったりしない。むしろラブコメと言っていいのか怪しいほどに恋愛要素が薄い。(後述しますがこれは良い部分です)
だけど、だらだらと?ゆっくりと物語が進んで行く。
雰囲気は「動物のお医者さん」に似てる気がする。あのゆるゆると進む感じが。
ギャグの感じは、絵も相待って「ギャグ漫画日和」っぽいと感じた。
そして全体を一貫する「サンデー感」は、高橋留美子の影響を感じる。
1話完結というわけでもなく、ゆるゆると進んで行く。時間はゆっくりだけど進んで行く。それが16巻まで、というのは綺麗なまとまり方かもしれない。
とにかく不思議な漫画でした。地味と言われたらそれまでだし、人に対してめっちゃ勧める感じの漫画ではないけど、こうして全巻読破したあとにグーグルの検索窓に「湯上くんは友達がいない 感想」「湯上くん アニメ化」などと調べて供給を得ようとし、感想を誰かと共有したいと欲するも十分ではなく、それなら自分で書こうとブログに感想を書き綴っているくらいには心に残った漫画です。
3.哲学的な面白さ
何が面白いのかと言われると答えに迷うけど、書き出してみると、セリフの言い回しだったり、湯上くんの妙に納得してしまう屁理屈とか、綿貫さんの素朴なモノローグとか、とにかく作品全体から醸し出される言い知れぬ「空気感」が、とにかくこの漫画の面白さであると思う。
サンデーっぽい部分として、コマが多いというか、とにかく丁寧なコマ割りがされている、つまり画面が地味だから、流し読みするとすげーつまんなそうに見える。主人公のビジュアルも地味だし、というか全キャラのデザインが地味だし
だけど後半になるにつれ、漫画に奥行きが出てくるというか、単調さがなくなってきたような印象を受ける。それは絵がうまくなったこともあるだろうけど、ちょっと少女漫画っぽい演出が増えたことで単調さがなくなったのかなとも思う。前半は画面が単調かつセリフ中心の漫画だったからギャグ漫画日和っぽいと思ったのかな。
だとしても、そのセリフの面白さやキャラクターが読者の心を掴み、5回で終わりだった予定が16巻まで続いたというのはやはり面白かったからだと思う。
湯上くんのキャラクターは、一言で言えば「見てる分には面白いけど関わりたくない」
つまり絶妙に友達になりたくないキャラクターだ。それが最後まで一貫していることがこの漫画の良さでもある。
しかし、悪いやつではない。嫌悪感を持つギリギリのラインを保っていて、なんだかんだ最後の方は湯上に慣れてくる。なんだか自分自身が、湯上くんのクラスメイトになったような感じだ。「こいつはダメなとこもあるけど、良いところもあるからいいや」となる。そうなると、「自分だってそうじゃないか?人のこと言えなくないか?」となる。
そう、湯上くんはいいところもあるけど、ダメなところもたくさんある。だけど、彼はそれが顕著なだけであって、全員が彼と同じようにいいところとダメなところがある。それを、この漫画を読んでいると気づく。「あれ?湯上確かに悪いけど、結構どっこいどっこいじゃね?」と。キャラクターは地味だけどリアルに個性豊かで、変な部分や嫌な部分、面白い部分がたくさんある。そのキャラクター同士が互いに影響を与え合って、作品全体に独特の空気感をもたらしている。湯上くんは極端なだけで悪いやつではない。というか作品全体見ても悪いやつはいない。誰しもが良い部分と悪い部分を合わせ持ち、それが一歩引いたフラットな目線から描かれている。だから、安心する。この作品は偏ってない、だからこそ地味なんだけれど、何かを恣意的に切り取って伝えようとする意思や意図が感じにくい漫画であると思う。だから不思議な安心感がある。
サンデーだから出せた持ち味のような気がするな、、
4.個人的に好きな部分
僕はこの漫画の、妙に哲学的な部分が好きなのですが、
例えばこのシーン
湯上くんの行動理念というか、哲学が垣間見えるシーン。
うまく言えないんですが、こういう風に何か自分なりに信じて生きてる人に憧れます。
どういう風に生きても良いと思うし、湯上くんの生き方が正解だとかは全然思いません。けど、何か自分の生き方に対して納得感があったり、自分で自分を肯定できる何かがある人は良いな、と思います。
5.ラストについて
ラブコメに振り切らなかった部分をすごく僕は良いと思っています。
変に拗れることもくっつくこともなく、だけど平行線というわけでもない関係。
この漫画のテーマは関係性なのかなと思いますが、それが安易な恋愛に消費されないのが良いと思いました。いや、そうなったとしても悪くはないと思いますが、恋愛関係になるわけではなく、あくまでコメディとして16巻続いていったほうがこの漫画の良さは現れたと思います。(売れるかどうかはともかく。僕はこっちの方が好きです。)
だけどラストはしっかり読者の求めるものを描いてくれた感じはしました。
もっと描いて欲しいくらいでしたが、綺麗なラストだったなと思います。
特に何も言うことはないなと思います。この7年間作者が描いてきて、終わり方はこうだろう、というものを丁寧に描いたものがあのラストだったのではないかと。ありがとうございます。
6.終わりに
湯上くんは友達がいない、
青春群像劇と言われると、そんな爽やかか?となるし
ラブコメと言われると、いやいやこれはラブコメではない、となるし
言えることは、学校には色々な人がいて、その中で関係性が変わりながら成長して行く、みたいな話を丁寧に描いた作品です。
無限に読みたかった気もするし、でも時間が進んでいって良かったとも思います。
でも後日談はもっと読みたい!
アニメ化して欲しい!
もっと余韻に浸りたーーーい!!
いつまでも待ってます!
【ゲーム日記】クリスタルでライコウを追う日々。
激闘!!! ライコウ!!!!!!
どうも。ゆ〜ふぉ〜です。
それではクリスタルのプレイ日記を書いていこうと思います。
今回は、ライコウをゲットするために奮闘してきました。
@ライコウとは?
スイクン・ライコウ・エンテイと合わせて「三犬」なんて呼ばれていますね。
高いすばやさととくこうを持っているため、対戦でも活躍できるポケモンです。(最近はカプ・コケコに食われ気味ですが)
そもそも、ライコウを捕まえようと思ったのは、ホウオウをゲットするためにはスイクン・ライコウ・エンテイを揃えなければいけないというクリスタル特有の仕様のせいでした。(ちなみに、ルギアはニビシティのおじいちゃんに話しかければ無条件で捕まえに行けます・・何?この差)
スイクンはすずのとうで固定シンボル化していますが、エンテイ・ライコウはジョウト全域を駆け回っています。エンテイはサクッと捕まえられたのですが、ライコウが鬼畜でした。(主にすばやさバグのせい)
@ライコウを追う苦難の日々。
ライコウとエンカウントするために、ワカバシティで図鑑を見て、46番道路か30番道路に来てなかったらワカバシティにそらをとぶ使って、図鑑確認・・の繰り返しをしました。
そして46番道路か30番道路に来たら29番道路へ進み、エンカウントを狙います。エンテイ・ライコウは50%の確率で次のフェイズで隣の道路に進むという仕様があります。
僕はエンテイ、ライコウゲットのために、ゴーストの技構成を「くろいまなざし、さいみんじゅつ、のろい、シャドーボール」にずっと保持していました。ヘドロばくだんとか覚えさせたかったのですが、いつかエンテイ・ライコウをゲットするために我慢していました。
ただ、誤算が1つ。それはゴーストのレベルが40を過ぎてしまっていたことです。
このレベルではスプレーであぶり出しができないのです・・このせいで何度もチャンスを逃しました。同じ草むらまで来れたのに他のポケモンとエンカしすぎてライコウが別の道路に移動してしまう・・・とても悔しい思いをしました。
46番道路か30番道路にライコウが来るまで何度もそらをとぶを使う。
⬇️
その次に29番道路にライコウが来るのは50%
⬇️
草むらでライコウとエンカウントするのも大変(スプレーあぶり出し不可のため)
⬇️
エンカウントしても、一定確率で逃げられる(ライコウ特有のバグのため)
⬇️
初手さいみんじゅつを外す確率は40%
くろいまなざしをしても、25%の確率でほえるを使われるとおじゃんです。
ちゃんとした捕獲要員を揃えとけばもっと楽だったと思いますが・・・
それでは、壮絶な戦いの一コマをご覧いただきましょう。ライブ感重視で書いております。どうぞ。
@激闘!ライコウ!!
ライコウにやっとエンカウントできた・・・
しかも、初手さいみんじゅつ当たった!
ボール投げまくるぜ!
いけっ・・・!! いけっ・・・!!
ボール「ムグン・・ ムグン・・・」
ボール「無理やで」
ああああああああああ!!
やめて起きないで頼むからまだ寝ててええ!!
あああああああああああああああああ!!!
やめて逃げないでっ・・・・
よっしゃああああでんきショックおいしいいいい
さいみんじゅつ当ててくれっ!!!
やったあああああああああああああ
これでまたボール投げられるぜ!!
うわあああああああああああああああああああ
あああああああああああああああああああああ
頼む・・・もう一度当ててくれえ!!!
イヤああああああああああああああああああああああ
外したあああああああああああああああああああああ
逃げられたあああああああああああああああああああ
ああああああああああああああああああああああああ
・・・・とまあ、こんな感じで2週間くらい粘られましたね。
こんなものはまだいい方で、そもそも出会えないし、出会ったとしても逃げられるし、逃げられなくてもさいみんじゅつ外すし、眠らせた後ボール投げまくってもなかなか捕まらないし(この時点での最高はハイパーボールという心許なさ)
そんなこんなで、無事捕まえられました。(捕まえた時の写真撮り忘れました。もはや捕まえられる気がしていなかったので油断していました)
しかしカッコいいですねライコウ・・・
金銀ではあんなだったのに。
とにかく、これでスイクン・ライコウ・エンテイを三匹ともゲットできたので、やっとホウオウをゲットしにいけます。長かった・・・
次回はホウオウ戦の記事を書こうかなと思います。
それでは今回はこの辺で。
ライコウ、御来光!!